今とは違う時代。生き方・やり方も違う
ベーシストギタロー氏がミュージシャンになったのが1970年代半ば。当時から師事しているミュージシャン達で活躍をしていた方々は1960年代という時代を生きていました。そんな、混沌の時代のお話です。
米軍キャンプが主な仕事場
まだまだ米軍の力が強かった時代、キャンプ内では娯楽に飢えていたようです。演奏できる者はキャンプに赴き、米兵と交流を持ち、本場アメリカの音楽に触れていきました。演奏すれば、きちんと出演料が出ていたそうです。それもかなり良い値段で。そんなこんなでつながりを作っていく中で、ベトナム戦争が始まります。
東南アジアのステージへの道
戦争が始まると、日本の基地からも米兵がかなり派遣されることとなりました。この戦争は、「資本主義と共産主義の現地を犠牲にした代理戦争」と私は認識していますが、米兵にとっても精神的苦痛になっていたと考えられます。題材にしている映画はかなりありますね。『地獄の黙示録』『プラトーン』『グッドモーニングベトナム』『ランボー』(これは1のみがまともです)などなど。当時、兵士にとっては、現実逃避的な娯楽が必要だったに違いありません。そこでベトナムはもちろん、周辺諸国のキャンプで、バンド演奏のニーズがかなり生まれたようです。これまた輪をかけて破格な出演料で。で、一旗揚げようと、多くの日本のミュージシャンも実際に海外に赴いたそうです。
タイぐらいまでは比較的、安全だったそうです。しかしベトナムとなるとそうはいきません。演奏するとなると、出演料と同時に拳銃が渡されたそうです。「自分の安全は自分で守れ」ということでした。すごい世界ですね。まあ、演奏する場所そのものはけっこう安全で、問題は少なかったそうですが、移動の時が危険なのです。
「危険と隣りあわせで演奏するミュージシャン」が、資金と、それ以上に米軍とのつながりを獲得して帰国後さならる活躍をする。そんな時代のお話でした。