世の中でよく起こることは、人体でも起こる
自己評価と他人評価が一致しないことなど、小石を蹴飛ばせばあたるほど良くあります。この2つの評価が一致するときにはとても安心できると思いますが、発声についても同じことが起こります。
主観的判断と客観的判断がせめぎあうとき道が開かれる
えー、毎度ばかばかしいお話で。会社なんていうところで働いていると、
「俺はこんなに頑張っているのに評価されない!」
なんていうことよくある話でございます。いろいろと自分の基準で考えていることと、人が求めていることが一致しない時に、不平不満といったものを感じるわけで。まあ、こんなことは世の常でございますので珍しくもありません。
ところでこんな風に2つ立場から別のジャッジメントが下されることは、声を出す場合に一人の中で心が二つに分かれてしまうことがございます。
そんなお話なんですが、ある40過ぎのおっさんが、いろいろあってヨリ子さんという女性歌手の「ほんとはね」という曲を練習し始めました。まあ、これがなかなかむずかしい。高音での優しい感じの声って、年を経た男にはなかなかに高いハードルでございます。
と、そんな中、いろいろ試していた声の出し方に「これは、ないわ……」という声がございました。確かに楽に声は出ますが、全然普通の声ではないと感じてしまったわけです。
まあ、これをたまたま録音をしていましたので、期待感ゼロで再生ボタンをポチッと。再生されたその声を聞いたところ「???あれ?? 普通に出てるんじゃね???」と、こうなったのでございます。
(主観くん)
「あれあれ、おっかしいぞ。絶対にカスカスで息ばかりの声で、まともに聞こえるはずがないのに」
(客観様)
「何をお言いかね。録音されたものこそがすべて真。それこそ真理ではないか」
(主観くん)
「いやいやいやいや。全然実感ないし。これでは今までの感覚がほぼ全否定になってしまう。そんなことはありえない。経験の先にきちんと歌える道があると信じたい」
(客観様)
「馬鹿なことを。それでは今までの感覚の延長線上に、この歌に合う声が出るのかね? ん? 今までの経験に縛られて、新たなる発見を捨てるなど、愚か者の所業といわざるをえないと思わないか」
(主観くん)
「そ、それはそうだが。しかし優しい声だけにしか使えないのならやはり駄目な出し方なんじゃないのか」
(客観様)
「それこそ早計な判断だ。今初めて、新たな方法論の手がかりを得たばかりであろう。その方法で別の歌い方ができないと、なぜ判断できる。その判断は、その方法であらゆるサンプルをとってから判断すべきであろう」
と、まあ、こんな風に「主観的に聞こえる自分の声」と「客観的に聞こえる声」とには、ものの見事に別物となってしまっているのでございます。「上手く歌えている声」が録音したときに残念になることは皆さん経験があるのではないかと思いますが、その逆もあり、という可能性を排除してはいけません。つまり「変な声で歌っている」感じが実は上手く歌えているという可能性でございます。そんなこんなの試行錯誤のその先に、自分の歌っている感覚と録音物の声が一致してくるわけでございますが、これには時間をかけて作り上げていく感覚なのだと思うわけでございます。
あ、そうそう、この段階で主観さんも客観様の一致していることがございました。
そ れは
「40過ぎで、この曲歌うって、痛くね……、ないわ……」という判断で一安心だとか。
お後がよろしいようで。

