わかっちゃいねぇ……

わかっちゃいねえよ……

 

歌がうまくなりたい衝動をまったく理解していない人がいる

 
確かに、歌など人間の存在を維持する上で無用の長物かも知れません。歌えなくても生きていけるし、幸せにもなれる。それは仕方がない。しかしだからといって頭でっかちにその衝動を勝手に決めつけられると腹が立つ。
 

こんなところにも商業主義の波が押し寄せている

このサイトをごらんの方はなんとなく感じているだろうが、私の音楽に対する姿勢は明らかに芸術的なものではない。機械的・物理的・肉体的な側面から人間を再生機としてとらえる方向です。こんな姿勢なので、正直、参考になる文献がない。そこで10年目を迎えた時に、ひとまず「考えたことを文章化しよう」と試みました。だいぶ大量な文章になったのですが、「本にしたら皆の役に立つのではないか?」と思って相談してみました。そこで次のような意見が出ました。「歌がうまくなりたいなら、本など買わずに普通に習いにいくのではないでしょうか?」と。ああ、わかっちゃいねえな……。これが感想です。

歌が下手、は強烈なコンプレックス

他の文章でも書きましたが、とにかく歌が下手な人は隠したがる。それは歌が下手という事実もそうだが、「練習している」という事実ですらも。なんの努力もしないで、そこそこ歌える人がどうしてもいる中、「練習すればうまくなる」という保障がないのが歌の世界。つまり「あんなに練習しているのに、この程度? ふふん」といわれる可能性が常にある、という意味です。ですので、うまくなるためにとる手段としては、特に若いうちは、

  1. なんとか自主練でうまくなる
  2. うまいと思われる友人・知人に歌い方を聞く
  3. 書籍・インターネット等で情報を集める
  4. それでもどうしようもないなら歌の教室にいく

という順番になります。そういう人たちにとって、教室に行くということは「最終手段」。ある意味屈辱の産物という意味合いを少なからず含むのです。本来は一人で何とかしたいというのが本音ではないのでしょうか。少なくとも私はそうでした。そうでない方もたくさんいますが、この根本的な心理状態を理解してほしいと切に思います。

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