歌にはこんなニーズもある

状況によっては、上手な歌は意味がない

 
ボクシングのトレーナーから、意外な申し出がありました。
 
 

結婚記念パーティーを盛り上げたい

 
いつもお世話になっているボクシングのトレーナーが結婚しまして、彼の仲間がそのパーティーを催すことになりました。この際、当事者の彼からこんな申し出がありました。「私の幼馴染の歌を録音していただけないでしょうか?」と。
 
詳しく話を聞くと、なんでもそのパーティーで流したいとのこと。「ほうほう、ではBGMとして使いたいということですね。」とたずねると、「いや、ぜんぜんそんな立派なものではありません」とのこと。
 
「え? どういうことですか?」
 
と聞くと「いやー、彼、すっごい音痴で、爆笑なんですよ。それを流してパーティーを盛り上げようかと^^」という返事。
 
「……」
 
まあ、それでよければ、ということでご依頼承りました。
 
 

「音痴」という才能

 
で、幼馴染さん、いらっしゃいました。とても純朴でまじめな方。歌う曲はザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」。
 
すげーよ、メロディの無い歌でこれほど魅力的なんて。
 
トレーナーは笑いを堪え切れずブースの外へ。ある意味完全に羞恥プレイなのだが、度を越えたレベルというものは芸術に近いのかもしれません。
(私) 「どうします?修正します?」
 
(トレーナー) 「いやいや、このままで十分ですw」
(私) 「じ、じゃあ、とりあえず音だけは、できるだけ良くしておきますね・・・」
 
正直、「なんかかわいそう」、と思ったのですが、幼馴染の彼に漂うのは、諦念に似た悟りの表情。すでに自分の歌の存在意義を悟っていたのでしょう。そして実際のパーティーで大爆笑を起こす起爆剤として十分な効力を発揮したようです。
 
 

売れる売れないを考えなければ、「音痴」は一つの武器

 
ニコニコ動画を調査・研究した時期があったのですが、結局私が好きで全部視聴したのは、「トモナシ」でした。「友達なし」でトモナシだそうですが、「音痴・キモ声」をテーマに、素敵な歌の歌詞を、これまた素敵にいじり倒して替え歌を歌っていらっしゃいました。そしてそれらはすべて自虐。発声が駄目でも、活舌が駄目でも、腹から笑えるその構成力。すばらしい。私の友人は「ラジオの構成作家に最適」とまで言っていました。
そんなわけで、歌がうまい、ということと世間のニーズは必ずしも一致しないというお話でした。ま、金にはなりませんが、芸術という側面では「あり」と思うわけです。

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