知れば知るほど多重ミーニングな気がする。
自分なりに「ここ」というものを定義しましたが、実際に使用されている現場では、違うところをさす場合がある。
「我々にとっては意味が違う」
と、リズムの話をしているときに、プロベーシストギタロー氏に言われたセリフです。
「いや、文章中では、きちんと流れの中で説明されているので”ウラ”の定義は
分かっているし、問題はないのだが、
”ウラ”という言葉だけ聴くと、
いつもの感覚で違うことを思ってしまう
」
これは重要な現実のギャップです。オーナーちゃんが理解して定義している”ウラ”というものは、クラッシック・ジャズ等、結構リズムが細かい中で演奏されるジャンルでの定義のようで”ウラ”の示す位置・内容もこれに当てはまります。そしてこれは音楽全般の根底に流れている必要不可欠なものであることはギタロー氏とも確認済みなのですが、ギタロー氏が活動してきたロックの現場の中では、”ウラ”の位置も意味合いも異なるということです。これは驚きです。これが事実だとすると、”ウラをきちんとしてね”という打ち合わせて演奏したときに、演者が意識する場所が違えば曲がバラバラになってしまうのではないでしょうか。
ここから考えられること
「なんかウラがさっ」「音楽はウラが重要だよね!」みたいなことを得意げに言う人がいた場合、その人が何をもってウラとしているのか?ということを確認する作業が、ものすごく重要だということになります。”ウラ”の定義が少なくとも2つある以上、どんなに面倒でも、キチンと確認しないと「分かってない」みたいな評価になる可能性が高いのです。
そしてもう一つ。それは
「ジャンルによって、もっといろいろな箇所・意味合いを示す可能性がある」
ということです。これが現実の現場で慣例的に行われている場合、ジャンル間でのミュージシャン同士の会話が、実はかみ合ってないという可能性も出てきてぞっとしますね。プロの世界でもその可能性があるのなら、素人やなんちゃってミュージシャンではその定義の混乱具合は押して知るべしです。
・・・・うーん、恐ろしい。その状況も恐ろしいが、分かったような顔して「ウラ」を語るなんちゃってミュージシャンの精神構造が恐ろしい・・・。
とにかく”ウラ”という言葉が出たときは「それは何をさしてますか?」を確認することが肝要なのではないと思うのです。
・・・まあ、ほとんどの人はキチンと説明できないと思いますがw