なんだかいろいろ短くなってきているようだ

情報の高速化がこんなところにも影響を及ぼしているそうな。

 
2016/6/10 日経流通新聞の一面に、こんな内容の記事が出ていました。
 

「イントロが年々短くなっている」ってさ

その記事によると
「90年代の曲と今の曲とを比べると、明らかにイントロが短くなっている」
ということなのです。昔は15秒ぐらい、今は5~10秒ぐらい。そしてすぐサビ。ネットの広告なども「最短5秒で内容を伝えなければならない」という風潮だそうです。なんだかせわしない。ちなみにその記事では、イントロが短い理由として、若い人に長いイントロの曲を聞かせたところ、「歌までが長すぎるので、カラオケの時に聞いてもらえない」という理由を上げていました。こういう側面もあるとは思いますが、いろいろと考えてしまうものがあります。

情報誌の盲信は、きけんきけん

まず鵜呑みにしていけないポイントは、「歌までが長すぎるので、カラオケの時に聞いてもらえない」という意見。いったいどれだけの母数で統計を取ったのでしょうか。こんな意見、今までは聞いたことがありません。そもそも、すぐに歌に入ったところで「聴いてもらえるだけの歌なのか?」なんていう意地悪なつっこみをしたくなってしまいます。この意見に意味を見出すとすれば、それは「あー、やっぱり歌以外の音をちゃんと聴いてない傾向があるのね」ということです。しかしこれも「では昔は違って聴いていたのか?」という疑問が生じます。それではこの点から考えられる個人的見解を書きたいと思います。

芸術性から商業性特化という流れの結果

ミュージシャンギタローさんの話では、音楽の商業主義はだいぶ昔からあるようです。しかし一方で、楽器隊の存在感は、今よりも明らかに大きかったのです。特にギタリストは歌に次ぐ花形パートで、「どこどこのバンドのギタリストは?」という話は良く出ていましたし、下手するとボーカルより有名な人もいました。そして、そういう中で作られた楽曲たちには、たいていギターソロという見せ場があったわけです。あ、ゴールデンボンバーさんのギタリストも、ギターソロに気合を入れてますね。熱湯風呂に入ったり、オスカー像になったりと。

それはおいておいて。
実際に曲が世の中に流れたり、ライブで演奏されたりしているのを見ていると、「あれ? ギターソロを聴いている人って、ほとんどいないんじゃないの?」と気づいたりします。「一般大衆ってそこまで音に興味がない」ということなのでしょうか。そんな理由から、ギターソロがどんどん減っていってしまう、という流れが出来たとかできなかったとかいう説。確かにこの流れに乗って考えると、「あれ、イントロいらなくね? 間奏、いらなくね? アウトロいらなくね?」という方向に向かっても不思議ではありません。そんな訳で、イントロが短くてギターソロが少ないのは、昔は商業主義とはいえまだまだ芸術的な動きが曲にたくさん残っていたのに、「売れる要素が少ないなら省略」といった商業主義が猛烈に進んだのが原因のひとつだと言えるのではないかと思います。