なぜかちっともちっとも売れない。
君の好きなバンドは
どれもすっごくすっごく売れてる
「君のバンド」コレサワさんの曲です。どう感情移入します?
最近使用をやめようかとも思ってしまうほど意味の少ない有線放送ですが、めずらしく心にとまった曲です。
「流行のものが好き」はやっぱり安心感がある、のかな?
流行っているということはやはり世相に何か通じるものがあって、大衆の共感を得ていると考えることができます。そしてそれはあくまでマジョリティ、つまり多数決で多い方へのアプローチです。それは悪くない。流行の歌を聴くことで「ああ、こういう時代なんだな」としみじみ感じ入ることができます。しかしそこに共感できないマイノリティ、少数派は存在します。この一派には、何だかんだ言って「小さな劣等感」があるのではないかと思うのです。
「劣等感なんてない」と思っていても、結局なんだかんだ根底に潜んでいる
劣等感を「人と比べて劣っている」という内容に限定して考えると、音楽そのもの、およびその嗜好に優劣はありません。ではどこにその比較要素があるのか? という点になりますが、それは、その「曲を選ぶ理由が一般的ではない」という点になると思います。そこに区別要素がある、と考えれば「俺は人とは違うぜ」という態度になるか、コソコソするかという二方向の表れ方をするのではないかと思いますがなんにせよ、少数派は少数であるが故にアイデンティティを確立していきます。
売れたらファンをやめる人ってけっこういる。
少数派は「あまり売れていない」ということがある意味ステイタスです。しかし面白いことに「売れてほしい、みんなに受け入れてほしい」という衝動も同時に存在します。ところが実際に売れてしまう、とファンをやめてしまうケースが多い。この場合はいくつか要因があると思いますが、その一つに「路線変更」というものがあります。
「路線変更」とは大抵、売れていない時にやろうとしていたことを、「売れるため」の方向性へと転化することです。活動のみが変化するならいいのでしょうが、楽曲の雰囲気や方向性まで変わる。そこにはそのアーティスト固有のキラリとした(と感じていた)ものがゴッソリなくなるケースはよくあることです。大衆への埋没ですね。これでは既存のファンは離れていきます。一方で特に音楽性が変わることがなくても「メジャーになっちゃったからもういいや」というファンもいます。これは私個人の意見としてはよくないと思います。なにがよくないか、というと「初期のファン」というステイタスがほしいだけなのではないでしょうか。「ちゃんと楽曲、聴いてる?」って思ってしまいます。
なんだかんだ言っても次のことが大事
これら全体を通していえるのは、「好き」「嫌い」の理由があいまいだ、ということです。ほとんどの人はなんとなく好き、なんとなく嫌いです。基本、それはそれでいいと思うのですが「なぜ好きか」をきちんと考え、理解することできちんと楽曲に向き合えるのではないかと思います。この理由をきちんと自分で理解してこそ、他人との比較から解放されるのではないでしょうか。
変な曲が大好きなオーナーちゃんの言い訳でした。