危険だが、個人の感想として書いてみようと思う。
時代時代を築きあげたアーティストがいます。そのうちで高校時代に周りが熱狂? していた尾崎豊さんについて、書いてみたいと思います。
団塊JR.の私たちの世代の、代弁者(?)
受験戦争、詰め込み教育、競争社会などなどに象徴されるオーナーちゃんの世代は、なにかと抑圧された「競争を強いられた世代」と言われたり言われなかったり。とりあえず人数が多いので、選抜がつきまとい、生き残り戦略を強いられていたのは実感としてあります。
すると大人側の責任として、子供に対して「何とかその選抜をクリアさせなければならない」という思考および実践が生まれてきます。まあ、大人側に配慮できるのは、現在、オーナーちゃんが、おじちゃんになっているからだと思います。当時、仕方なく、一方的な押し付け的教育が蔓延してしまうのもやむを得ないことだったのでしょう。そういう世の中の流れを捉え、「大人はわかってくれない」といった反骨精神を見事に体現した方が尾崎豊さんだったと考えています。
「これが俺の卒業式だ!」
彼は、確か青山学園の高等部に通っていたようですが、その反抗的な態度で退学になったようです。(あれ?そうだったっけな?)そして高校の卒業式にあわせてライブを行い、その時に言った台詞がタイトルのものだったそうです。彼の歌は、当時の高校生・大学生にべらぼうに聞かれていました。「学校の窓ガラス、壊して回る」「盗んだバイクで走り出す」などなど、やりたくてもできないことをちりばめた歌詞は、鬱屈した少年少女に多大な共感を得たようです。で、オーナーちゃんですが、あまりに流行っているのでとりあえず5枚ほどあったアルバムを全部聞いた上での感想はずばり「ぜんぜん、わからん」です。
「で、どうするよ?」って質問したくなるほど、連続性がない。
気持ちはわかる。うーん、わかると、思う。「これが俺の卒業式だ!」って言いたい気持ちはね。でもそれって、結局学校というシステムに未練あり、ってことじゃないですか? 学校システムを否定したければ、「学校など行かなくてもきちんと社会で存在しえる」ということを示せばそれでよい。「学校の窓ガラス、壊して回る」「盗んだバイクで走り出す」、このどちらも「えーっと、どうせ見つかるし、その弁償代っていくらよ? 1枚ガラスって結構しますよね。バイクも盗んで警察に捕まったら事情聴取とかなんとかくだらないことで時間を奪われますよね。なんか生産的なこと、あります?」という感想を持っただけです。
この点から考えられるのは、「大人が敷いたレールに未来を見られなくて反発するが、個々人が自分の連続する将来を想像できるほど成熟していない」時代だったのではないかと思います。それはどの時代でもあると思います。が、あまりにその世代の人数が多すぎて目立ったということなんでしょう。そこを的確についた人が時代を代表するアーティストとなれる例なのではないかと思います。そんなに特徴な時代においても、共感できる感性を持たないオーナーちゃんは、まっこと残念な大人となっていくのです。