お国柄がでるのかもやしれん
声を人と合わせることだが、「合わせる」という思考パターンが違う
「日本人の合唱と、アメリカのそれとは迫力が違うね」と言われて考えてみた。
「和をもって尊ぶ」という姿勢の影響か
他の文章で「クラシックの声とポップスの声って違うみたい」ということを書きましたが、日本では、他人とうまく混じりあう声で歌うことで、安定と調和を実現させるように思います。一方で、アメリカでは「俺が私が!」という果てしない自己主張の声が絡み合って融合しているようにも感じます。さてここから個人的な見解を書きます。
普段使っている声がそもそも違う
これは自分が歌えるようになってきた時に感じたのですが、日本人の発声ってそもそも歌に向かない。というか「日本語がロック・ポップス向きの発声を育まない」というほうが正しいでしょうか。
簡単に言うと「喋るとき声の出し方では、洋楽のような声は出ない」ということです。日本の人たちは、そういう状態から何とか声を出そうとして訓練をする人がほとんどですので、どうしても固く・細く感じる周波数帯が残ってしまいます。その中で声の個性が分岐していくと思うのですが、その個性が思いっきり主張しあうと「うるせーーーー」となる気がするのです。そこで合唱をする場合は、個性を殺し、他人と調和することを主軸とした声で歌うことになっているのではないかと思います。
一方で、アメリカではどうでしょうか。個人の経験からいいますと、相手に合わせるなんてことは基本的に考えてないと思います。にもかかわらず自己主張しても調和する。これは基本的に英語の発声が、音楽としての音の振動をベースとしたものであると考えられます。たとえばラッパをいくつか用意して個性的に吹いたとしても、基本的には「音楽」としての振動がありますので、一緒に鳴らしても大して違和感がないのではないかと思います。これと同じ、って感じですかね。一方で日本人に良くある、いわゆる「アニメ声」が、欧米人には少ないような気がします。子供でも「野太い・幅がある」声でしゃべります。日本人的感性では「かわいくない」声ですね。この点が、言語と声の振動が関連していることがわかるのではないかと思います。
とはいっても、どっちが良いかという問題ではないと思います。グレゴリアン・チャントやブルガリアの合唱隊などはやはり調和を主軸においているように思います。こちらは宗教的な影響だと考えられます。神の元に平等、といったところでしょうか。まあ、そんなことで、ニーズに合わせて使い分けられるのがベストですが、オーナーちゃんの声は長年過酷な実験を繰り返したことで破壊され、他人ときわめて融合しづらい声になってしまいましたので、どこまでも一人ぼっちなわけです。こうなってはいけませんよ、ってことで正しく声を出しましょう^^