気がする。
意外と歌詞を聴かないで、曲の雰囲気のみで良し悪しが決まる。
有名どころの歌詞をきちんと聴いてみると、「使い方、どう?」と思ってしまうことがある。
「アメージング・グレイス」が歌われるとき
ある方からのメールで、「アメージング・グレイスが震災時に歌われるのはちょっと違和感がある」という内容をもらいました。で、調べてみたわけです。いやーネットってこういうときは便利ですね。18世紀、貿易商から聖職者になったジョン・ニュートン氏の手によるものだとか。そして彼ともう一人で編纂した「オルニー讃美歌集(Olney Hymns)」の第一巻、41番目の「信仰の回顧と期待(Faith’s Review and Expectation)」が元だそうだ。※伝聞や借用はきちんと書いておこう。worldfolksong.comより。
で内容はどうかというと、賛美歌なのでやっぱり「神はすばらしい!」という内容になっていますね。このころは奴隷貿易も盛んでしたからその反省的な意味に捉える人もいるようです。ようするに「鎮魂歌」ではない。確かに内容としたら神の救いをたたえる内容なので、大変なことが起こった時に歌われるとちょっと違和感がありますね。そんなことより、音の響きや曲調が聞く人を穏やかにする、という点で選曲された、と思うと、選曲者は歌詞を理解していたか? とちょっと疑問符がつきます。
「MY WAY」と結婚式
こちらは完全に経験談ですが、一回、メジャーどころの古い曲を歌ってみようとしたことがありまして、その中に「MY WAY」がありました。大元はフランク・シナトラ氏。歌手兼役者の方ですね。曲の最後に向かって広がり、壮大に歌い上げられるものです。よく結婚式などで歌われるとのこと。で初めて歌詞の内容をみたところびっくり。「わが生涯に一片の悔いなし!!!」とラオウ的満足感に包まれた臨終の歌でした。
まあ、直訳は「我が道」ですから、「そこに満足して死を受け入れる」という内容に矛盾はありません。ええ曲です。でも、この曲を「新婚さんに捧げる」という姿勢で歌うって、どういう心境なんでしょうね。「男にとって結婚は墓場だから、今まで悔いなく遊んだか?おいおい」というお茶目な発想による選択だとすると、ちょっと粋で「いいね!」をあげたくなりますが、まあそんなことよりも、曲の盛り上がりとかで選ばれちゃってるのでしょうね。
こんなことで、洋楽で有名なもの、洋楽を明治・大正・昭和時代とかにむりやり日本語を乗っけてしまった曲などは、原曲や歌詞を知っている人にとっては、使いどころがちぐはぐになっているということが、けっこうあるのではないかと思います。逆にそのギャップを狙うなら、結婚式で「黒の舟歌」や「死んだ男が残したものは」ぐらいのダークサイドを撒き散らすぐらいの度胸がほしいですね。
あ、そうそう、フランク・シナトラ氏主演? の映画、「私を野球に連れて行って」ですが、あまりにチャラい戦後のアメリカン・ライフにぐったりし、1時間でギブアップでした。余談。